広島行

先日、仕事で広島へ行ってきた。最近、山口へ行くことは多くなったし2年前には岡山にも行ったが、何故だか広島には縁が無く、久方ぶりでした。前日、広島駅についてとりあえずホテルに向かった。広島駅南口には地下道が整備されていて、ショッピング街となっている。中央のコンコースのような所にくるとなんだか???な雰囲気だな、と思った矢先、陽気なラテンのリズムが始まった。コンコース中央に舞台を作り、その前にはパイプ椅子が50-60脚。何処の音楽かははっきりしなかったが、スペイン語圏、多分ペルーあたりのフォルクローレ調の音楽だった。お客さんはたまたま通りかかった人なのか、フォルクローレをお目当てに来たのか分からないが、おばちゃんを中心に立ち上がって踊っていた。広島は暑い、熱い!ホテルに荷物を置き、また広島駅に戻った。広島大に最近赴任した友人と呑みに繰り出した。友人が目星を付けてくれていた「柚子の小路」という和食系の飲み屋に行く。瀬戸内の魚介と広島の地酒に舌鼓を打った。天気は随分と微妙だったが、楽しい素敵な時間を過ごした。
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さて、翌朝は昨夜の心配通り、時折小雨になるものの、土砂降りでした。お昼前に仕事場へ着けばいいので、チェックアウト後、原爆ドーム平和記念公園に行った。母方の田舎が山口県光市なので、子供の頃、夏休みなどには1-2週間そこで過ごした。光を起点にいろんな所へ行った。瀬戸大島の陸奥記念館や宮島、秋芳洞、小倉、ちょっと足を伸ばして雲仙普賢岳にも行った(その時泊ったホテルはその後の噴火のために失われました)。原爆ドーム広島平和記念資料館もそういうときに行ったので、今回おそらく30数年振りの訪問となった。不思議なもので小学生だった当時の印象のままでした。勿論当時の子供だった自分には、平和記念資料館の展示は強烈なものでしたし、それに比べれば、かなり冷静に展示を見る訳ですが。
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平和記念資料館、行ったことのある方も多いとは思いますが…
入場料は大人50円、安い!
 入ると最初の方では、広島という町がいかにして発展してきたかが分かり易く示されています。呉海軍工廠などの施設や、中国、朝鮮へ向けての人、物資の輸送の拠点として大きくなって行った。言い換えれば、戦争に加担していった。
 そして戦局推移を示す中には、日本軍による中国大陸への侵略、日本軍による大量虐殺にも触れている。朝鮮半島から労働者を連行し日本各地に送ったことにも触れている。どちらが正義かとかではなく、戦争することが悪であり、戦争の恐ろしさ、残酷さを伝える展示だ。
 そして原爆投下に至るスキーム。戦争の最中、ドイツを中心に進められてきた原子爆弾の開発を阻止すべくアメリカが巨費を投じて、そして多くの物理化学者を動員して原子爆弾の開発が進められた。太平洋戦争の早期終結をねらい、ソビエトに参戦を促すとともにソビエトに対し戦後処理を有利に進めるために原子爆弾の投下が決定される。町の規模、軍施設の有無、捕虜の有無、空襲履歴から横浜、京都、小倉などいくつかの候補を決め、原爆の効果を分かり易くするためにこれらターゲットの町の空襲を禁止した。一部の科学者の反対を無視し、人類史上初めて実戦での原爆投下は、事前予告無しで行われることに決定し、1945年8月6日8:15投下…。
 展示は原爆の威力の凄まじさ、放射線の恐ろしさ、その後の被爆者の追跡などへと移って行く。救済の遅れていた外国人被爆者についても示されている。
 このような展示などを通して事実をしっかり伝え、我々が受け止めること、これが二度と同じ過ちを繰り返さないための教育に繋がるのではないか。太平洋戦争でアジアで何が起きたのか?なぜ中国大陸への侵略や南京大虐殺をちゃんと教育の場で教えないのか、フィリピンのマニラ市街地線のような膨大な一般人が戦闘に巻き込まれて命を失った。こんな戦いを正当化することは誰もできない。日本は戦争犠牲者である前に重大な加害者でもあったことを伝えなければいけないし、なぜどうして戦争を始めてしまったのか知らなければいけない。なぜ戦争の終結が遅れて、原爆投下という末路に至ったのか?そういうことをちゃんと教える前に、日の丸掲揚、君が代斉唱を強制し愛国精神を養うのは、順序が違う、と僕は思います。関東しか分かりませんが、関東の公立の多くの小中学校の修学旅行は日光か京都・奈良。勿論、日光、京都・奈良も素晴らしい名所ですが、できうる限り、一度は誰もが広島平和記念資料館へ行ってほしいものです。関東には世界三大虐殺図や語り部の活動で有名な丸木美術館がありますが、そこにも足を運んでほしいものです。最近、とある町で「裸足のゲン」の小中学校での閉架処置の是非が話題になっていました。僕らの世代はおそらく多くの人が子供のときに読んでいます。率直に原爆の恐ろしさ、戦争の恐ろしさ、戦争の時代を生きてゆく辛さを感じました。閉架処置の取り消しは、あくまで手続き上の不備が理由になっていて、それも釈然としませんでしたが、無理に読むことを奨励する必要はありませんが、隠すのはおかしいと思います。
 さて、平和資料館を出て仕事に向かいました。ひどい雨でずぶ濡れになりましたが、そのおかげ?で気持ちの切り替えができて無事、仕事を済ませることができました。ホッ、、、